自己紹介

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JuventusとCapitanoを愛しています。銀座の映画会社で働く40歳のチンドン屋です。 サッポロ黒ラベルとウイスキーで幸せ。クラシックギター歴10年エレキは25年。L.Aメタル華やかりしき頃、4年L.Aに住んでました。

2013年2月27日水曜日

オマタ・ユルイネン内閣はハナゲ・デテルネンの夢を見るか

ハナゲ・ナガイネン

いやー映画って売れたり賞獲ったりすると面倒が臭いですね。
というわけで『アルゴ』受賞の反応を見て垂れ流した僕の独り言をまとめておきます。

僕は『アルゴ』がベンのベストだとは全然思わないし
それなら『ザ・タウン』こそもっと評価されるべき見られるべき映画だと思うが
それと事実を歪曲云々は別の話である。

それらを混ぜて語ることは
映画を映画として「見る」ことと
映画を現実の延長線上にあるものとして「論ずる」ことを混ぜようとしている行為であり
前者は『民族の祭典』を興奮と共に「見つめ」後者は眉を顰めて「語る」。

見る側はレ二の頃から何も成長していないわけです。

ピカソのゲルニカは政治的メッセージが込められているから素晴らしいわけではないという話です。あのド迫力を目の当たりにしてそんなことばかり「語る」人は絵を見ていないわけです。
自分の頭の中との答え合わせだけを見ているのです。


「牡牛は牡牛だ。馬は馬だ。
もし私の絵の中の物に何か意味をもたせようとするなら
それは時として正しいかもしれないが意味を持たせようとするのは私のアイディアではない。
君らが思う考えや結論は私も考えつくことだが本能的にそして無意識に私は絵のために絵を描くのであり物があるがままに描くのだ」ピカソ

「レニ・リーフェンシュタール言う人とヒットラー言う人がこれを作ったと思いますと少し嫌気がさしましたね。けれども嫌気を除けてこの映画の美しさ、映画の美は本当にこれこそ映画でしたね」
淀川センセの『民族の祭典』名解説 http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo18024.html


「プロパガンダ?そうかもね、それで?」ハナゲ・ナガイネン

2013年2月24日日曜日

ジェニファー・ローレンス可愛いですねオッチャンメロメロ


『世界にひとつのプレイブック』

ブラッドリー・クーパーのうなじは妙な形をしている。
母親の車にクリス・タッカーが乗り込み車を停めたままお喋りをしていると
真後ろに迫るトラックがリアウィンドウに映り
良いタイミングでクラクションが鳴る。
クリス・タッカーを画面から物理的に消してみせる。
映画が始まっているぞ、という気分になる。これは悪くないと確信する。

ブラッドリー・クーパーの家が中々良い。
屋根裏部屋のような彼の部屋で放り投げられたヘミングウェイが
小窓から飛び出すところをアオリで撮っていてこれが可笑しい。
可笑しい、ということを生理的にわかっている画。
庭の芝生に落ちる本。
これはジェニファー・ローレンスが
蝿の王と新聞を芝生に放り投げるシークエンスで繰り返される。
ベッドに倒れこんだブラッドリー・クーパーが本を落とすシーンもあった。
この映画のタイトルと関係する演出なのだろうか。

ゴミ袋を被って走るブラッドリー・クーパーの後ろに前に「ふい」に飛び出してくる
ジェニファー・ローレンスが素晴らしい。
これらは、初デート、奥の離れから歩いてくるのを見せる演出も活かしている。


シリアルを頼み、紅茶を頼み、なんで紅茶、シリアルにあわせたのよ、
なんでシリアル、デートじゃないから、デートよ、シリアルを食べるジェニファーという
良い調子で始まるダイナーの2人、その会話の切り替えしをしつこくやっているところ良いです。
ダイナーの前のスロープも上手く使っている。
ダイナーの前のスロープで色々やっているというアメリカ映画は好きです。

サインを読んで、というフレーズから手紙を書いたのが誰かに気がつくところ、
振り返るブラッドリー・クーパーのクロースアップは下品になる直前で堪えている。

ダンスの採点は左端のオバチャンがずっと辛い点をつけている。
これは勿論演出であり当然最後はオバチャンが良い点を点けるのだろうと
思ってみているとやはり5.4点を点ける。

会場を去るジェニファー・ローレンスを捉えた俯瞰ショットは
走るジェニファー・ローレンス、追いかけるブラッドリー・クーパーという
はじまりと逆の展開を予感させそのとおりに進む。上手です。

キスする2人から急速にトラックバックするカメラ。
なんだこれは。何故か遥かなる大地の魂急上昇シーンを思い出した。
ドキッとしたなあなんだっけこのカンジ。
ライトアップされた夜の町が雨に濡れたように光っていて良かったね。

このカメラマンは上手いですね、と思って調べてみたら
影響された撮影監督にエマニュエル・ルベツキを挙げていた。

というわけで久しぶりに良い気分で映画館を後にしました。
ジェニファー可愛いよジェニファー。






2013年2月20日水曜日

フォード一家の男はウェインに相棒と武器を届けにきました


『リオ・ブラボー』

はい、今日は、『リオ・ブラボー』ですよ。
これは、1959年のアメリカの西部劇ですね。

監督はハワード・ホークス。

ハワード・ホークス、ハワード・ホークス、
ハワード・ホークス言うたらアナタ、
私の大好きな『コンドル』、
ケイリー・グラントが「ピーーナーーーッツ!!」歌うやつね、いいね。
そして『脱出』、マッチ持ってるか?ってドアのところにバコールが凭れかかってね、
カシャッ!ってええ音させてマッチ受け取りますね、いいですね、凄いなあ。
Anybody got a match?
他にも牛が、牛が、牛がいっぱい、いっぱい、いっぱい大迫力で走っていた『赤い河』、
もうかっこええ男がいっぱいいっぱい出てきて、
男、男、男の活劇、活劇の傑作をたくさん撮った人ですね。
ヒロインはみんな夢のようなええ女でね、凄いなあ。


そんなハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』ですね。
これはジョン・ウェイン、ジョン・ウェインと
ジェリー・ルイスとの底抜けコンビ、そして泣く子も黙るシナトラ一家の一員やった
ディーン・マーティン、ミュージシャンのリッキー・ネルソン、
2人とも十八番の歌を聴かせてくれますね、
ホークスは歌へ導入するのがホンマにウマイね、そのウマさ、この映画でも魅せてくれますよ。
坊主上手いぞもっとやれ
そして『脱出』でも『赤い河』でも可愛らしいウォルター・ブレナン、
口やかましい、足が悪い、憎めない爺様を演じてますね。
そしてヒロインはアンジー・ディッキンソンやね、
まあセクシーな、セクシーな露わも無い格好でジョン・ウェインを誑かしますよ。
このホテルの通路を挟んだ部屋同士のやり取りが
また『脱出』を思い出すね。
これはホークスが生み出した空間やね。

『エル・ドラド』の、ミッチャム、ジェームズ・カーン、シャーリーン・ホルトもええけど
このマーティン、ネルソン、ディッキンソンの三人にはちょいと届かないね。

そして、あっという間に死にますけど忘れたらアカンのが、
ワード・ボンドですね、『捜索者』の牧師兼シェリフやね、
連れてきたお
ジョン・ウェインの親友でネルソンを連れてくるいう、
大事な大事な役にちゃんと、フォード一家をキャスティングするんやね、流石だなあ。

そんなこの映画の最後。
ディッキンソンがイケズに腹を立てたら
ジョン・ウェインがそんなことないよ、好きだよ、そんな格好は他の男に見せたくないよ、
と本心を伝えますね、そしたらディッキンソンが「そう言ってくれるの待ってたの」言うて
パーッとセクシーな衣装を脱ぎますね、そしたらウェインがそれをクルッと格好良くまわって窓の外にフワーッと放りますね、カッコイイ・カッティング・イン・アクションね。そしたら窓の外、ブレナンとマーティンが歩いているところにヒラヒラーってそれが落ちますね。

もうこの、美しさ、軽やかさ、ウマさ、もう素晴らしいね、夢のようなラストシーンですね、
ここだけでもう何杯も何杯も美味しいお酒が飲めますね。


それじゃあ少しだけ、ホークスの、その凄い、凄い活劇がどうやって始まっておるのか
観てみましょうね。


溶暗があって“裏口”から入ってくるディーン・マーティン。
ディーン・マーティンの視点で酒場を見せますね。

カウンターは鈴なりでテーブルは満卓で
いろんな、いろんな人があちらこちらで色んなことをやってて活気がありますね。
ちゃんと色っぽいオネエチャンの顔が一番目立つところに置いてあります。流石ですね。

酒場を歩くディーン・マーティンをフォローするパン
彼はグイッと酒を飲み干す男を恨めしそうに見ますが
その横にはさっきの色っぽいオネエチャンがいます。
歩きながら酒を飲む人を見ながら口を拭く仕草のディーン・マーティン。
ああ飲みてえなあ、いうカンジがようわかります。
酒場の人たちはディーン・マーティンをまったく気にかけません。
“裏口”からこっそり入ってきて、孤独で、喉が乾いているわけです。

立ち止まるところの奥にヒゲ剃ってる人がいてこういうのもなんともいえず良いですねえ。
世の中全てが彼と関係なく進んでるんやね。

カウンターでは酒場のオッサンとオバチャンがチラチラ、チラチラ、不審げに見ている
いかにも悪そうな男が酒を注いでいますね。
ああ飲みてえなあいうディーン・マーティンがまた口を手の甲で拭います。
これは酒が飲みたいを演出するだけではなくてずうっと後でも使いますね。

酒を見つめる視線に気づいた悪そうな男がコイツが飲みたいのかい?
いう性悪な笑顔を投げかけますね。
はっと悪そうな男を見て(酒から男へ視線をずらして)情けなく頷きます。
この視線と表情だけで切り返していくスムーズさは絶品ですよ。

下手糞な監督やったらディーン・マーティンが歩いているところから
「俺は喉が渇いていた、そして孤独だった」とかモノローグが入れるんやろうね。
悪そうな男は「よう、飲みたいのかい!」とか喋っちゃう、それじゃ台無しやね。

情けない、情けない媚を売るディーン・マーティンを
鼻で笑うと悪そうな男は銀貨をタンツボに投げ込みますね。
さあどうする?辺りをチラチラ気にしながら口を拭いながら屈むディーン・マーティン。
ああ情けない。そおっとタンツボに手を伸ばしたその瞬間。
タンツボを蹴り飛ばす足の登場ですね。すーっと立ち上がるティルトショット。

ジョン・ウェインの登場ですね。

苦々しい顔で見下ろすバストショットで、スターは、ご尊顔を現しますよ。
ジョン・ウェインと悪そうな男の無言切り替えしですよ。
ユラーリとカウンターへ近づくジョン・ウェイン。
ああ恥ずかしい、ああむかつく、ああ情けない、ああ恥かいた、ああもうなんかわからん、
となったディーン・マーティンが後ろからジョン・ウェインをたき木かなんかで殴ります。
ジョン・ウェインはバターンと引っ繰り返りますね、
この映画でジョン・ウェインは殴られたりすっ転ばされたりばっかり。大変です。

みんな立ち上がります、奥でヒゲ剃ってたオッサンも立ち上がります。
悪そうな男は仲間割れかいええ余興や言うカンジで悪そうに笑ってます。
イラッときたディーン・マーティンが悪そうな男に殴りかかりますが取り押さえられて
逆に殴られます。1発目、2発目、3発目、もういっちょう、となったところで
もうその辺でええやん、と誰かに手を押さえられますが、ここで腰のクロースアップ。
銃を抜いて繋いで、次のカットでズドンとなります。ウマイなあ。
手を押さえられただけで人を撃つ様な悪いやつなわけですね。
周りも大して驚かずあーあという。

これで悪そうな男はさっさと出て行ってしまいますね。
歩いていますね。
通りすがりのネエチャンの腕を捕まえますが
顔を見て「なんだあんたブスね」いう仕草をします。
とことんチンピラですね。

男が酒場に入ってきて揉め事が起きた、
それだけで十二分に面白いプロローグですね、凄いなあ。

裏口、裏口、言いましたけどこのあとアル中から立ち直ったディーン・マーティンが、
オレが表から入るからアンタ裏から行ってくれとジョン・ウェインに言うところ、
いいですねえ、ウマいなあ。
フォードもそうですけれど「ドア」には要注意ですね。

さっきも言いましたけれどこの映画では
撃ってクルッと一回転するジョン・ウェイン
クルッと廻って服を放るジョンウェイン
頭を殴られて引っ繰り返るジョン・ウェイン
ブレナンの頭にキスしてお尻叩かれてクルッと廻るジョン・ウェイン
ロープに足を引っ掛けてすっ転ぶジョン・ウェイン
と軽やかに廻ったり引っ繰り返ったり大忙しのジョン・ウェインが見れますね。
やれやれシャツの色も変わるっちゅうねん

















この映画は『エル・ドラド』でもう一回やり直していますね。
だから、通りを挟んで右と左に分かれて歩くジョン・ウェインとディーン・マーティンは
エルドラドでもウェインとミッチャムでやってますね。
でも『リオ・ブラボー』の方が面白いですね、ロバも出てきますね。
この、全く同じシークエンス、
断然、『リオ・ブラボー』と僕が思うのは
十字路で風が吹いてマーティンにタンブル・ウィードがぶつかって、
そのままころころ、ころころ転がってウェインのフレームに入ってくるところ。
通りを挟んで歩く2人を十字路とそこを吹き抜ける風とタンブルウィードで
見せているところですね。
さりげなく空間を感じさせてくれる演出ですよ。
気持ちよいですね、たまりませんね、大好きですよ。

顔の左側に血を流しライフルをもって酒場へ入ってくるウェインもヨカッたなあ。

「オマエを逮捕する、ジョー」言うてね。

映画が始まってから約5分。
これがこの映画の最初の台詞なんですね、凄いなあ。
主役のスーパースターは「逮捕する」とキメ台詞でスタートですね。
この「逮捕する」は、また違う意味でずうっと後で使いますね。
こういうさらリと見せたやつをあとでウマイこと回収しますね。

それから、それから、
ビールを取り出してウォルター・ブレナンと言い合っているウェインから
中々ビールを貰えないマーティンが面白いですね。
ホークスいう監督は、何かを見せながら、
違うものを見せるのが、本当に上手で、シビれますねえ。

ヒロインの魅せかたもホントウマイねえ。
赤いパンツを挟んで談笑するウェインとホテルの主人。
そこへヒロインのアンジー・ディキンソンが入り口にもたれて登場やね。
『脱出』のバコールみたいやね。部屋が向かいなのも同じで、ああ凄いなあ。
このディキンソンは目を見ているだけでムズムズしますよ。
ホークスの映画でヒロインは気が強くてさばけていて美しくて色っぽくて
男を立てていてヒーローにベタ惚れしているけどしつこくなくて夢のような女ですね。


ネイサン一味との最後の戦い、三人が孤軍奮闘しとるところに
ちゃんと危機一髪でブレナン爺様が助けにきますね、エンタテインメントやなあ。
若いもんには負けん!!
そして冒頭でワード・ボンドが持ってきた爆弾が活きてくるんやね、ウマイなあ。
フォード一家のワード・ボンドはウェインに相棒と武器を運んできたんやね。
でもちゃんと次は誰がやってくるんやあのオネエチャンかみたいな軽口も叩きますね、
絶妙、絶妙としか言いようがない憎い演出がたくさん、たくさん、ありますね。

冒頭で言うたように
ホークスといえばさりげなく歌や踊りへ導く天才ですけれど
この映画では酒場の演奏がまた巧いこと使われてましたね。

はい、もう時間が無くなって来ましたね。
ジョン・ウェインが酷い目にあう大活劇、ハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』!
是非愉しんでご覧になってくださいね。

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

『リオ・ブラボー』
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くたばれトム・フーパー

僕は12月21日の日劇にいた。
『レ・ミゼラブル』を見に来たのだ。
始まって5分と経たない内に嫌な予感がする。
果たしてその予感は当たった。

「なんだこれは」

7.20m×17.30mの大スクリーンいっぱいのクロースアップで
ひたすら歌っている顔が垂れ流されている。
画が歌の後ろを、台詞の後ろを、演技の後ろを、物語の後ろを
頭を垂れて足取り重くついていく。
冒頭、奴隷たちが鎖に繋いだ巨大な船を曳いているが
あれは「このようにして映画(船)は演劇(奴隷)に引き摺られて進みます」
という宣言だったのか。

大きく引き伸ばしたスターたちのバストショットスチールを人数分、
そしてレ・ミゼラブルのサントラが一枚。
その紙芝居でも遜色ない”映画”が出来そうな有様。
割ったり引いたり寄ったりが駆使されるのは
例えばラッセル・クロウの愚鈍な歌と顔が朗々と歌い上げるシーンが
「保てない」ようなときでありそこには何の意思も狙いもない。
サッカー中継で寄ったり引いたりしているアレと同じだ。
この監督は『帰らざる河』冒頭の長い長い2カットで
モンローに子供からギターが手渡され歌い終わるところまで
持続する画を5回くらい見たほうがよい。
やっぱり見なくてよい。ムダだから。

見世物だった映画をお芸術に高めるのだ
それにはお芸術であるお演劇をキラ星のようなスターを集めて
映画にすれば映画がお芸術になるであろう。
お立派なお知識人のお眼鏡にかなうお芸術と認められるだろう。
というお考えのもとに1908年フィルム・ダール社はつくられた。
そしてスターを集めた演劇をフィックスのカメラでフィルムにおさめただけの
演劇の劣化版お芸術映画がつくられた。
そしてグリフィスが登場した。

トム・フーパーはグリフィスは登場しなかったですという感性で撮っている。

カメラの位置、移動、カッティング、光、
それら監督の感性が捉えていく画の連続に
目を曝し共犯者として体験する喜び、驚き、
長い年月をかけて映画が獲得してきた
「映画」に「感性」に唾を吐きかけて撮られたナニカが垂れ流される
巨大なスクリーンに窒息死しそうだ。

僕は幾度も席を立ちかけては我慢しなんとか見終え
拍手と啜り泣きが響く日劇を後にした。

英国王のスピーチで感じたことは正しかった。


くたばれトム・フーパー。